開業まで
札幌グランドホテル誕生

「将来、かならず日本でも冬季オリンピックが開催されるだろう。
それには札幌が一番ふさわしい。今から本格的洋式ホテルを是非建てなさい。」とは、一人のジェントルマンの一言。
昭和9年、札幌グランドホテル開業。北海道に誕生した、初めてのホテルでした。
当時の社会動向と、この先見の明を持った、ジェントルマンのアドバイスとが相まって、ホテル建設の協議が、北海道庁と札幌商工会議所が中心になり進められました。幾多の困難を乗り越え、昭和8年12月19日、株式会社札幌グランドホテル創立総会が、 豊平館(ほうへいかん)にて開かれました。最初は官営ホテルとして計画された札幌グランドホテルでしたが、半官半民に軌道修正され、最後は民間企業の形でようやく開業にこぎつけたのです。
「グランドホテル/愈(いよい)よけふ開業/外観内容とも堂々」
昭和9年12月11日開業当日の「北海タイムス」の記事見出しです。トップ記事と並んで紹介され、今まで見たこともない豪華なホテルが完成した、札幌20万市民の喜びと期待を報じています。
落成式と開業披露式は、ホテル2階の大宴会場で盛大に開かれました。当時としては珍しい立食形式のパーティーは、地元をはじめ全国の政財界を代表する約1,000名が出席。記念品には銀製の仁丹ケースと、加藤顕清(けんせい)作の陶製帯留めが贈られました。
こうして札幌グランドホテルは、北海道初の本格的洋式ホテルとして、誕生したのです。
〜一人のジェントルマンとは、故秩父宮殿下です。〜
SHGマークで草野球

昭和9年、札幌に本格的な洋式ホテル第1号として誕生した札幌グランドホテル。
そのモダンな外観は、当時、「近世式地上5階、地下1階。総延坪2,100坪余、耐震耐火鉄筋コンクリートの簡素明快を旨とした宏壮な建物」(札幌商工会議所月報・昭和10年1月10日付)と紹介されました。
総工費約80万円。設計監理は、現職の北海道庁吏員たち。何度も設計変更を繰り返しながら、冬を挟んで、正味321日間の突貫工事を敢行しました。そんな忙しい彼らも、ときには仕事を忘れて息抜きを。SHGのマークを染め抜いた揃いの法被(はっぴ)を着て、工事現場の空き地や大通公園・中島公園などで草野球を楽しむこともありました。
開業お披露目パーティー

北の迎賓館として、多くの方々に愛されてきた札幌グランドホテル。半世紀あまりの歴史の中には、数々の思い出が刻み込まれています。その記念すべき第一頁が記されたのは、昭和9年12月11日。おりしもこの日の「北海タイムス」朝刊には、『グランドホテル/愈(いよい)よけふ開業/外観内容とも堂々』という3段見出しの記事が。そこに紹介された壮大な建物にふさわしく、盛大な開業披露の祝宴が、ホテル2階の大宴会場で開かれました。
当時としては珍しい立食形式のパーティー。
地元をはじめ、東京・大阪などの全国の政財界を代表する約1,000名が出席。祝宴には、市内3つの見番から選りすぐりの芸者衆が花を添え、レビュー団のショーが繰り広げられるなど、当時としては洗練されたモダンな雰囲気で大好評を得ました。
加藤顕清(けんせい)作・陶製の帯留め

約1000人を招待した札幌グランドホテルの開業披露パーティー。昭和9年当時は珍しかった立食形式で催され、余興でよりすぐりの芸者衆と当時流行のレビュー団の踊りが披露され、人々の注目を集めました。
このパーティーで記念品として来賓に贈られたのが「陶製の帯留め」。新進気鋭の彫刻家・加藤顕清氏が原形をつくり、北海道工業試験場窯業部の職員がひとつひとつ押型焼成したもの。洗練のデザインと、そこに込められたおもてなしの心は、当時の来賓の胸に、大切に刻まれたことでしょう。
開業時のホテルロビー

手間とお金がたっぷりかけられた旧グランドホテルのロビー。
正面にかけられた当時北海道長官・佐上信一氏の「春風万里」の書額。
真紅のじゅうたん、品の良いシャンデリア・ライト、そしてウォールライト。エレベータガールのユニフォームが時代を物語っています。
アイヌ乙女の像

右膝には小熊、伏せた目には愁(うれ)い。そして、小さな口元に漂うあるかなしかの笑み。
札幌グランドホテル別館コリドールに置かれたブロンズ像「アイヌ乙女の像」。
北海道出身の作者、加藤顕清(けんせい)氏は、当ホテルとは縁が深く、昭和9年開業時の記念品も制作。その女性の横顔をモチーフとした陶製の帯留めのように、一貫して人間像を追求しつづけました。もちろん、この乙女の像にも、人間への深い洞察と愛情を余すところなく表現。その姿は、行き交うお客様を振り向かせる、静かな迫力に満ちています。
栗谷川(くりやがわ)健一作

2.5m四方の美しい陶板画。創業当時の札幌グランドホテルを中心に、道庁の赤レンガや札幌郵便局・鉄道倶楽部・豊平館・札幌市民公会堂・時計台など27のアンティークな建物が、緑豊かな木々の中にある風景。昭和60年、札幌に住む国際的なデザイナー、栗谷川(くりやがわ)健一氏の制作です。50年前の時代を現代に蘇(よみがえ)らせたこの作品は、見る人をノスタルジックな世界へと誘います。
*2階通路本館と別館を結ぶコリドールの壁に飾られています。
■栗谷川(くりやがわ)健一
北海道岩見沢市にて1911年2月28日出生。
[表彰] 1959年北海道新聞文化賞、1972年札幌市民芸術賞、1983年道文化賞、1986年地域文化功労賞(文部大臣)、1992年勲五等双光旭日章
[受賞] 1951年全日本観光ポスターコンクール特選、1953、1956年世界観光ポスターコンクール最優秀賞
[現在] 学校法人栗谷川学園理事長、北海道デザイン協議会名誉会長、北海道文化振興審議会委員、財団法人札幌芸術の森理事、社団法人札幌観光協会相談役、全北海道広告協会副会長
モダンな建物

札幌グランドホテルの建物は、玄関のトップライトにステンドグラス、ホールの床はモザイクタイル貼り、地下から最上階までエレベーター付きという、たいへん豪華なもの。
当時の人々の中には、エレベーター内で正座をしたり、また、一面に絨毯(じゅうたん)が敷き詰められているため靴を脱いだりする光景もみられた。北海道初の本格的洋式ホテルの誕生にとまどう市民の様子がわかる。
北海道初の本格的洋式ホテル誕生

ホテル創業時の札幌
レビューやカフェの流行。チャップリンの映画「街の灯」のヒット。そしてパーマネントの普及。札幌グランドホテルが誕生した昭和9年頃といえば、街にモダニズムの兆しが見えてきた時代。この頃、札幌グランドホテルと並んで昭和初期の3大建築とよばれた札幌警察署、新札幌市庁舎が完成するなど、札幌の街並みにも変化が現れてきました。
中心街には急激に高層建築が建設され、煉瓦(れんが)造りの旧五番館や三越の建物が建つなど、華やかな西洋文化の香りが漂い始めたこの時期。鉄筋コンクリート造りの札幌グランドホテルの建物は、ピザンチン風で、デコレーションケーキのようなたいへんモダンなもの。西洋文化に憧(あこが)れを持つ当時の人々の羨望(せんぼう)の的となりました。
屋上にゴルフ練習場を設置したり、メニューに欧文を採用するなど、当時まだ人々に馴染みの薄かった文化を紹介していった札幌グランドホテル。文化の窓口となり、西洋の香りを人々に伝えていきました。
札幌警察署完成、新札幌市庁舎落成

(右側手前が帝国生命、
その向こうが大同生命ビル)
札幌の街並み

豊平館(ほうへいかん)<国指定重要文化財>


明治13年、開拓使によって貴賓館を兼ねた洋式ホテルとして大通西1丁目に建てられ、三代に渡る天皇巡幸の際の宿舎としても使われました。日本の木造建築技術に欧米の装飾様式を巧みに取り入れた外観のほか、随所に文明開化の香りを漂わせる内部装飾が見られ、全国的にも貴重な建築物です。
昭和33年に中島公園内の現在地に移され、現在は結婚式場や音楽会場にも使用されています。
天皇のご座所となった2階の部屋は当時の家具も再現されており、館内には歴代の天皇が使用した所縁の調度品や当時の陶器類、文献など貴重な歴史資料も展示されています。
- [問い合せ] (011) 511-0985
- [開館時間] 通年9:00〜17:00
- [休館] 年末年始
- [料金] 無料
北海道庁庁舎


通称"赤れんが"と呼ばれるのは、北海道庁旧本庁舎。開拓史本庁舎が完成したのは明治6年。赤レンガ庁舎が産声をあげたのは、明治21年のことである。
昭和43年に、現在の建物は創建当時の姿に復元され、国の重要文化財に指定されている。昭和60年から、北海道の歴史に関する文書や記録を閲覧できる、北海道立文書館として使われている。
赤レンガ庁舎のみどころ
- れんが…約250万個の赤れんがは、当時の白石村と豊平村(現在の白石区と豊平区)で製造されたもの。長手と小口を交互に並べる積み方はフランス式。
- 八角塔…明治6年アメリカからの開拓使顧問ケプロンの計画で建てられたものを模したもの。当時アメリカでは、独立と進取のシンボルとして、ドームを乗せる建築様式が流行していた。設計したのは、道庁の技師・白井晴二郎で、アメリカのマサチュー セッツ州議事堂をモデルにしている。
- 三連アーチ…1階正面ホールにあるアーチ。中心部や鉄柱上部、階段側面などには、洋風建築らしいばらの花をモチーフにした円形模様(ロゼッタ)がある。
- 記念室…歴代の長官や知事が執務をした部屋。出入り口枠や窓まわりには、唐草模様の彫刻があり、建具や腰の鏡板には、たも材の玉目一枚板が使われている。
西洋文化の普及
昭和初期の札幌。この頃は、服装や食に異国文化の影響を特に受けた時代。街では西洋と日本の文化が混ざりあっていました。
人々に洋服普及のきざしが見えてきていたものの、市民の服装やデパートの店員の制服はまだ和装が一般的。モボ・モガ(モダンボーイ・モダンガール)といったハイカラな洋服断髪姿もいれば、結い髪に和装という姿も。それまでにはなかった着物に洋髪姿という和洋折衷のスタイルもこの頃から始まっていったのです。
また、食文化でも洋食が庶民に定着し始め、トンカツ、ライスカレー、ハヤシライスといったものが食べられるように。「コロッケに白飯、味噌汁、漬け物」といった日本独特の食事スタイルが始まったのはこの時代のことでした。
庶民の間で西洋文化が産声をあげたばかりのこの時期、北海道初の本格的洋式ホテルとして、札幌グランドホテルが誕生しました。エレベーターガールのユニフォームに本式の洋装スタイルを採用したり、立食パーティーを開催するなど、人々に本格的な西洋文化を発信。モダニズムへの憧れが溢れていた街に、市民が初めて体験する西洋の風を吹き込んだのです。
イラスト付きのマッチ

このマッチラベルは、「近世式鉄筋コンクリート造り。地下1階、地上5階、ペントハウスの上の東洋風な塔屋」(北海タイムス:昭和9年12月付)の威容を誇る札幌グランドホテルが描かれた、たいへん洒落(しゃれ)たもの。
ラベルに書かれている「札幌グランドホテル」の表記は、現在となってもモダンさを感じさせる書体。右から左に読ませるクラシックスタイルが昭和初期を偲ばせます。また、印刷には当時珍らしかった金色を使用しているのも特徴です。
マッチラベルひとつにも、デザインや素材にこだわる姿勢。札幌グランドホテルは、北海道初の本格的洋式ホテルとして、こうした生活レベルの細部にまで最新の文化を発信していく役割を担っていったのです。
洋服の普及

(写真提供:北海道ドレスメーカー学院)
着物姿に断髪、和服に化学繊維を使用するなど、当時のファッションには和と洋の融合が見られた。なかでも"アッパッパ"とよばれる頭からかぶる形の服は、着物より動きやすく、洋服に慣れていない人でも抵抗無く着ることができるという点が受け入れられ、普段着として女性の間に流行。また、当時は毛糸が普及し始めた時期であり、セーターやマフラーといったものが庶民の間で使われるようになっていった。
モボ・モガ

(写真提供:藤田京子氏)
吊(つ)りズボンにハンチング帽、ローウエストのプリーツスカートにハイヒール。当時の流行の最先端を進んでいたモボ・モガのスタイルは、現在になっても見た人に洒落(しゃれ)た印象を与えるもの。彼らは、カフェと呼ばれる酒場でカクテルを飲み、女権拡張運動などの話に花を咲かせていた。
洋食

当時札幌グランドホテルがお客様にお出ししたメニューは、「鮭のステーキ40銭」、「アップルパイ20銭」、「アイスクリーム20銭」など。1杯15銭という街にある喫茶店のコーヒーの値段から比べても、札幌グランドホテルの洋食は、当時の市民になじみやすい価格であったといえる。
洋食といえば、「豊平館で食べる格式高いもの」というイメージがあった時代。札幌グランドホテルの誕生により、洋食は市民にいっそう馴染みの深いものになっていった。







