札幌グランドホテルの歴史のご紹介。戦時中の歴史をご紹介いたします。戦時中財界の応接室・会議室としての役割を担い営業を続けました。

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HISTORY

戦時中の札幌グランドホテル

戦時下の札幌グランドホテル

昭和9年、札幌グランドホテルは、北海道初の本格的洋式ホテルとして誕生しました。当時としては珍しく英文表記がされた案内パンフレット、一面にウインドウディスプレイがほどこされた飾り窓。昭和10年代初頭、人々が初めて触れる西洋文化を、ひとつひとつ発信し始めた頃のこと。
折りしも札幌は、陸軍大演習(昭和11年)や、札幌市役所新庁舎完成(昭和11年)などが続き、経済や文化に活気があふれていました。しかし、こうした華やぎに満ちた人々の暮らしに戦争が暗い影を落とすのは、その直後のことでした。
昭和16年12月8日、太平洋戦争開戦。戦争がさまざまな影響を及ぼすなか、ホテルのような観光産業は、特に大きな打撃を受ける一方。そんな中、札幌グランドホテルは、政財界の応接室・会議室としての役割を担っていたため、軍人や役人の利用が増加。売上も、飛躍的に伸びていきました。市民の社交場にはなり得なかった戦時下ではありましたが、営業を続けられたこと自体が、大変珍らしいことだったのです。


「秋の国際料理」をはじめ、新鮮な"食"への挑戦!

戦前・戦中当時の札幌グランドホテル

北海道に、札幌に、新風を吹き込む窓口でありたい。戦前、戦中の激動期にも、変わらずその姿勢を貫く2人の人物がいました。
昭和11年当時の札幌グランドホテル取締役、岩田彦二郎氏がその一人。和食に世界各国の料理を取り合わせるという斬新なメニュー構成で、「秋の国際料理」を発表。"食"に対するそのあくなき挑戦は、多くの人々に新鮮な驚きをもたらしました。
また、この年、江戸前料理を提供する「空の茶屋」が開業。札幌グランドホテルの食を支えた料理人の一人として板前を務めたのは、梶本民治氏。北海道では手に入らない魚貝類を、四斗樽に氷を詰め本州から運ばせたほどの彼のこだわりは、北海道の和食に東京や関西と同等の地位を持たせたいという熱意の表われでした。
しかし、やがて時代は軍事統制下。本州からの食材の入手が困難になり、次に目を付けたのが、北海道が誇る新鮮な魚貝類や大地の恵み。味付けや装飾によりかからず、素材の味を生かしきって北海道ならではの和食を確立すること。それは、東京や関西の味とは違う、新たな“道産料理”の幕開けでした。
このように、戦前・戦中にも常に新しい事へと挑む姿勢は、札幌グランドホテルを大きく前進させていったのです。



札幌市民の戦時生活

食卓を飾るロシア、フランス、イタリアなど世界各国の料理。今でこそ一般的ですが、昭和初期の札幌市民にとってそれは、憧れの食べ物でした。そもそもは明治時代、札幌には“サッポロ洋食”と呼ばれる独自の食文化が開花。西洋料理店「魁養軒(かいようけん)」や貴賓館「豊平館(ほうへいかん)」などで、開拓使を通して伝わったアメリカ式料理をアレンジした札幌スタイルが生み出されました。
ただし、それは役人や士官など高い地位を持つ人々の間でのことでした。庶民にも親しまれるようになるのは、昭和9年の札幌グランドホテル誕生以降。外国の食材や新しい調理法などが広く紹介され、昭和10年代には市民レベルでもまだ見ぬ異国を味わうことができるようになったのです。
しかし、やがて市民の生活には暗い戦争の影が忍び寄ってきました。昭和14年には「国民徴兵令」、翌15年には「奢侈品(しゃしひん)等製造販売規制による物品指定」が公布され、贅沢は敵、という暮らしへと変化していきます。外国や本州から船便で取り寄せていた食材の入手は、次第に困難に。そこでホテル厨房を預かる当時の料理人たちは、北海道の豊かな自然が生み出す食材に目を向け、それを活かす斬新な料理を生み出していきました。
今も受け継がれる質の高い“道産料理”が誕生したのは、皮肉にも戦争の影響だったのです。


軍事統制
空の茶屋開業広告
空の茶屋開業広告
(「北海タイムス」昭和11年11月1日付)

賃金統制令、国民徴兵令、価格統制令などが相次いで公布され、ますます統制が強化されていった。「奢侈品(しゃしひん)等製造販売規制による物品指定」は、その中でも特にホテルに大きな影響をあたえた。



ショーウインドウのディスプレイ
昭和15年当時のショーウインドウのディスプレイ

昭和15年、札幌グランドホテルの駅前通り側のショーウインドウを飾っていたディスプレイ。これは当時、札幌鉄道局の展示スペースとして使用されていたウインドウに、「紀元2,600年祭」を祝し掲げられたものです。
作者は北海道出身のグラフィックデザイナー、栗谷川(くりやがわ)健一氏。神武天皇即位の場面を力強く描いたその構図も、しかし戦争の波には勝てず、昭和16年の太平洋戦争開戦を折に取り外されました。
昭和初期といえば、人々は初めて出現したこの洋式ホテルを大きな憧れのまなざしで眺めていた時代。開業当初、絵画や写真など西欧文化を発信する役割を担っていた窓。北海道出身のデザイナーの手によって飾られていたのは、あまり知られていないことかもしれません。



西洋料理店“魁養軒(かいようけん)”」
豊平館外観
写真:豊平館。昭和33年に中島公園内に移されました

明治12年、北海道開拓使のアメリカ人向け料理担当として、東京から洋食を作るために招かれた料理人の1人、原田伝弥(でんや)氏。氏が明治14年に北海道初の西洋料理店として大通2丁目に開いたのが、「魁養軒(かいようけん)」である。原田氏は同年、明治天皇巡幸の際、宿舎となった開拓使の貴賓館「豊平館」(当時北大通西1丁目)の初代司厨(しちゅう)長も兼務したという。まさに北海道の洋食文化のさきがけである。



奢侈品(しゃしひん)等製造販売規制による物品指定

昭和15年9月1日実施。「料理にして、一人に対する販売価格、朝食に在りては一円を、昼食に在りては二円五十銭を、夕食に在りては五円を超ゆるもの。(以下略)」は提供してはならないという統制が施かれた。庶民の生活では、牛乳1合が10銭、ハガキが2銭の時代。
確かにホテルでの食事は“奢侈(しゃし)”ではあったが、札幌グランドホテルは厳しい軍事統制下でも北海道産の食材を用い、料理の提供に努めた。しかしそれでも、最も厳しい時代のメニューは「海草麺(めん)」だったという。



紀元2,600年祭
紀元節際(臨時大祭)幣帛(へいはく)共進使と神職
紀元節際(臨時大祭)幣帛(へいはく)共進使と神職との記念写真(写真提供:北海道神宮)

紀元節とは、「古事記」や「日本書紀」に基づき、初代天皇とされる神武天皇が即位したといわれる日を祝う考え方。
明治5年、政府が天皇を中心とした国家の支配体制の正当性を示すために制定し、憲法発布や建国記念祭など国民的行事の日に選ばれていた。昭和15年は、その紀元から2,600年目に当たると考えられ、国を挙げての祝賀ムードに湧いていたという。
紀元節はその後、昭和42年、「建国記念日」と改称されている。




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