終戦、米軍による接収
7年間の米軍接収

昭和9年の創業以来、モダン・エイジの華やかさを謳歌(おうか)しつつ育ってきた札幌グランドホテル。しかし、さすがに太平洋戦争のころには、冷たい突風が吹き荒れました。昭和20年からの米軍接収がそれです。
100名以上いた従業員は、市内2ヶ所の仮設営業所「ニューグランド」と「楽々園」に分散。ごく一部が、進駐軍要員としてホテルに残りました。当時の米軍の命令には絶対服従。また、壁や床に原色のペンキを塗りたくられるなど、まさに冬の時代でした。晴れて米軍接収から解放されたのは、昭和27年。ここにご紹介するのは、本国に帰還する兵士見送りの風景です。
米軍接収

札幌グランドホテルは終戦と同時に、施設備品一切と建物管理関係の従業員95人ともども、米軍将校宿舎として接収された。昭和27年秋の接収解除時、残されていた備品はピアノ1台、ミシン1台、三面鏡7台のみ。
ロゴマーク入りの食器類、ロビーや部屋に飾られた絵画などは一点のこらず消えていたという。畳が剥がされ壁にペンキが塗られたホテルは、営業再開に向けて1億2千万の費用を投じて改修工事を行なった。
戦後の札幌建築模様
昭和20年8月15日、太平洋戦争終結。幸いにも非戦災都市だった札幌でも、復興の動きが活発になりました。
昭和20年代〜30年代にかけて、もっとも発展がめざましかったのは、札幌の建築模様。札幌駅の新築、地下ステーションデパートの開業に始まり、丸井今井の札幌初のエスカレーター導入、円山動物園の開園、そして、テレビ塔の建設開始など。現在の札幌を代表する施設や建物が次々と姿を現したのはこの頃のことだったのです。
もちろん、市民の生活も一変。木造造りが主流だった市民住宅に鉄筋コンクリートが使われ、二重窓や断熱材が普及し始めたのも、戦後の復興期でした。昭和初期当時、札幌グランドホテル・札幌市役所・札幌警察署が3大建築と言われ中心となっていた街並み。戦争終結を契機にめまぐるしく変わっていった建築様式を通してみても、市民レベルの生活が明るく築かれていったことがうかがえます。
円山動物園
昭和26年5月5日のこどもの日に「札幌市円山児童遊戯施設」として開園し、同年9月15日「札幌市円山動物園」と改称した。もともとは、終戦間もない昭和23年秋、当時の上野動物園飼育課長・林寿郎氏がヒグマの子30頭を買うために北海道防疫課長・番場伸一氏を訪ね、動物園設立を提案したことが始まり。
動物園の開園は、戦災を免れたとはいえ逼迫(ひっぱく)した市民生活に、明るいニュースとなった。
テレビ塔

昭和31年、札幌の中心部を東西に横切る大通公園の東端にテレビ塔の建設が始まり、同年NHK札幌放送局がテレビ放送を開始。
翌年、北海道初のローカル放送局として北海道放送が放送を開始し、北海道もテレビ時代に突入した。現在は、札幌市街地から石狩平野まで一望できる展望台があり、街の東西南北の中心に建つ札幌のシンボルとして親しまれている。
ホテル再開とロビーの壁画

昭和27年11月8日。その日は、札幌グランドホテルが長かった“戦争の影”に別れを告げた日でした。7年間の米軍接収、その後の2ヵ月あまりの改修工事を経て、いよいよ再開を果たしたのです。この改修により、ホテルは戦前以上の姿に。
まず、全館で51だった客室を65に増築。さらに、地階に中華とお好みの2つの食堂、1階に喫茶室を新設しました。こうした中でひときわ目をひいたのが、ロビー正面の壁いっぱいに描かれた壁画です。作者は、当時新樹会会員だった土橋醇(どばしじゅん)氏。300号近い大作で、マチス風の軽快なタッチと色彩が、ロビーを明るい雰囲気で満たしてくれました。
ロビー壁画

昭和27年、11月。札幌の街並みが都会化への第一歩を踏み出していたこの頃、札幌グランドホテルでは新たな時代が描かれ始めていました。昭和20年の戦争終結と同時に将校宿舎として米軍に接収された札幌グランドホテルは、7年もの歳月を経て接収解除となり、営業を再開したのです。 「(略)“全階蛍光燈(とう)照明、豪華な壁画は戦前以上の設備でしょう”と同ホテルは語っている」(北海道新聞昭和27年10月26日付け)とは、当時の改修工事の模様を伝える新聞記事。 ここで“豪華な壁画”と語られているのが、新樹会会員・土橋醇(どばしじゅん)氏がロビー壁面一杯に描いた300号近い女性群像の絵です。絵の具代だけで50万円をも費やしたという大作で、マチス風の明るい配色が特徴。営業再開期にふさわしい鮮やかな絵画は、戦後の市民の心を明るく彩ったことでしょう。
北海道新聞昭和27年10月26日付

「九月一日の接収解除以来、一億二千万円の費用を投じて改修工事を続けていた札幌グランドホテルは、いよいよ十一月八日から営業することに決定した。
「経営者側が接収以前の姿にしようと意気込んだだけに、三階半分と四、五階全部を客室に使用して、洋室、バスは六十五部屋を設け、百人以上の宿泊施設を有することになるが、このほか地階に、中華、お好み食堂、一階にグリルのほか百十坪の大食堂、二階と三階半分に大、小宴会場、六、七階に和食、天ぷら食堂が設けられることになっており、“全館蛍光燈(けいこうとう)照明、豪華な壁画は戦前以上の設備でしょう”と同ホテルでは語っている」
わずか一段見出しの記事ではあるが、改修の模様をよく伝えている。







